洲珠乃日記(すずない)

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ローマと呼ばれた国・Ⅲ

ローマ建国紀元540年春
ハンニバルとの戦いから3年が過ぎた。
カルタゴ軍のイタリア駆逐はすぐに終わった。
ハンニバルという名将を失ったカルタゴ軍は非常に脆かったのだ。
ゲノア、タウラシアを次々と攻め取った。
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これらを指揮したのはティベリウスの後にローマについたルキウス・ポストゥミウス・アルビヌスである。

そしてローマ建国紀元542年
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ローマは北イタリアで国境に接していたボイイ族との戦闘を始める。
ボイイ族とは簡単に説明するとケルト人などのことで,特に現オーストリア付近から北イタリアまで来たのではないかといわれている部族だ。
彼らは歩兵に特化しており、多少の騎兵を持っていた。
このボイイ族に初めて攻撃を仕掛けたのは、プブリウス・コルネリウススキピオだ。
彼の指揮の下、ローマ軍はよく戦いすぐに北イタリアのボイイ族を駆逐した。
その後すぐにイリュリアの付け根を占領した。
ボイイ族からの停戦使者がやって来て、ローマは停戦を受諾した。

今、イタリア半島シチリア島では急速な人口増加による都市の拡張がローマの内政を活性化させていた。
特にローマでは軍政両方の発展は目覚しいもので、軍では既にこのような建築物が造られていた。
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ローマに属する諸都市は、次々と増える人口の増加にあわせて都市が拡張されるため、市民達に考慮した建築物を建設する暇がない。
それどころか人口増加を更に促して都市の拡張を目論んでいた。
今ローマでは爆発的な人口増加を正確に把握する為に、人口調査を開始した。
歴史的に知られる人口調査とは今から私が記述するものは違う。
イタリア半島の各都市は、ローマを除いて平均すると約80000人程度である。
都市が最大級まで拡張する為には、24000人の人口が必要である。
その各都市で再入植政策が施行されている為、半年で増加する人口は各都市約6~8%にまで上っている。
ローマはこの人口増加に支えられた。


ローマ建国紀元546年
重大な事件が発生する。
カルタゴから和平の使者が訪れたのだ!
条約内容はどちらも穏やかなものだった。
停戦条約内容は、双方の主要都市の地図を交換、貿易の再開。
以上の2つだった。
話はスムーズに進んで終わったのである。
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なぜこのような話になったかと理由を書く必要があるだろう。
カルタゴ側は、イタリア半島で活躍していた部隊と名将ハンニバルを失った。
しかし、変わってイタリアからフランスへ陸路抜ける領地をローマから奪っていた。
これでカルタゴはある程度の妥協を考えれるようになったのだった。
変わってローマでは歴戦の名将スキピオが前年病気によって死んでいた。
そしてなにより先に記述した、急速に増える人口増加によってその対策に大量の金と労力を必要としていたのである。
もちろんその間にもローマはアルプス山脈を越え、現スイスへ侵攻してその地にいたガリア人をその支配下におさめている。
これらの理由によって、ローマもカルタゴもこれほど速やかで緩やかな停戦に合意したのである。
ただし、どちらかがこれを破ることも当然予想されていたが・・・。


・世界の主な出来事
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どちらもローマ建国紀元546年の出来事である。