洲珠乃日記(すずない)

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ローマと呼ばれた国・Ⅸ

・スペインの影
ローマ建国紀元565年
この年になってローマはスペインの原住民族ガラエキから積極的な攻撃を受けるようになった。
フランスへの敵の上陸が止まらなかった。
しかしスキピオは大胆な方法でガラエキ族を翻弄した。
出征していたガラエキ族には、部族の族長が殆ど参加していた。
これに目をつけたスキピオは、到着したローマの援軍が来たことで即座に行動を開始した。
スキピオは一路エブロ川から北のガラエキ族の都市を攻撃したのである。
この攻撃を実行するにあたって海軍に命じて港付近と、フランスに上陸した敵軍が船に乗れないように妨害する命令を発しておいた。
これによって危急の事態にガラエキの遠征部隊は帰ってこれなくなった。
ピレネー山脈を迂回してガラエキ族が帰ってくる間、スキピオはガラエキ領内で暴れまわった。
そして、ローマ建国紀元567年
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こうしてローマ軍はスペインの原住民族をとりあえずは抑えることに成功した。


この間にローマ軍は以下の戦闘を経験している。
バレアス諸島の攻略(包囲 陥落)

サグントゥムの逆包囲戦(包囲中にカルタゴ軍増援来襲 戦闘回数:2回 勝利)
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サグントゥム防衛戦(攻略したサグントゥムにカルタゴ軍の大軍が来襲 勝利)
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カルタゴ・ノヴァ包囲戦(包囲中にカルタゴ軍出撃 勝利)
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これらの出来事が僅か3年の内になされた。
ローマ軍は度重なる戦闘を勝ち続けたのである、それも勝ち続けたのはスキピオだけではなかった。
だが、この度重なる勝利こそがスペイン方面軍の弱体化に繋がった。
すなわち連戦による戦闘で消耗しきっていたのである。
当然スキピオもその点について考えていた。
だが、その考えは一つの出来事によって対応出来なくなってしまったのである。
遥か北の民族、ベルガエがフランス地域のローマ都市に波状攻撃を仕掛けてきたのである。
それもベルガエと国境を接している全域で、である。

・ベルガエ族
彼らは元々ゲルマニアから流れてきた部族で、その勢力は現ベルギー、オランダ、イギリス南部と推定されている。
彼らはガリア人の中で、もっとも勇猛な部族として記録されている。
単独でキンブリ族やテウトネス族を撃退している。

彼らの攻撃でローマのベルガエと接している都市では包囲戦が展開された。
イタリアからアルプスを越えたすぐの領地も包囲された。
既にフランス方面のローマ軍は、海を渡ってやってきたガラエキ族との戦闘で軍団は壊滅していた。
防御しようにも軍のないフランス方面では、籠城生活と陥落後の悲惨な事態を待つしかなかったのである。
そしてローマでは初めての事態に直面した。
同盟都市の反乱である。
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・世界状況 ローマ建国紀元567年
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勢力図

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ポントスの大地震