洲珠乃日記(すずない)

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ローマと呼ばれた国・Ⅷ

・ローマの風雲児
ローマ建国紀元564年
スキピオとハスドルバルは会戦の為に20キロの距離を開けて互いに睨みあった。
戦端が開かれたのはその日の昼を回った頃だった。
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ハスドルバルはローマ軍に向って軍を進めた。
軍勢は全部で4列とし、1、2列を主力の歩兵が勤める。
3列目を弓兵や散兵などが控え。
4列目にはハスドルバルとマゴが並んでいた。
戦闘はローマ軍のリトロボリスが投石を開始して始まった。
これに対抗する手段を持たなかったハスドルバルは、一定の距離を保って前進してこなかった。
だがこれが彼の運命を決定した。
運悪くハスドルバルは地面に落着してバウンドした石弾によって踏み潰されたのである。
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このハスドルバルの戦死にカルタゴ軍は戦意を喪失しかけた。
だがこの中で末弟のマゴが手勢の騎兵部隊を全て率いてローマ軍前衛に突撃を開始した。
スキピオはこのマゴの動きを丘の上から見てすぐに判断を下した。
クレタ弓兵にマゴの騎兵を集中的に射撃するように命じた。
さらに歩兵部隊にもピルムを投げるように指示したのである。
スキピオの考えは成功した。
マゴの騎兵隊は突撃をする前に7割の損害を出していた。
そして前衛と接触してすぐに敗走したのである。
こうして将軍2人を失ったカルタゴ軍だったが、このマゴの行動に全員が突き動かされた。
負けるとわかってもハンニバルを長とするバルカ一族に従った歴戦の勇者達である。
後退より指揮官と同じ戦死を選んだのだ。
すぐにスキピオによって包囲されたカルタゴ軍残存部隊は、何も出来ないまま退却した。
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そして戦線を離脱したマゴはカルタゴ・ノヴァへ撤退の途中にスペイン人に討たれて死んだ。
退却した残存部隊はローマ軍の騎兵にその殆どが討ち取られた。
こうしてハスドルバル率いるカルタゴ軍は全滅したのである。
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この戦いは今後の歴史を大きく変えた。
それは、第2次ポエニ戦争カルタゴ軍主導で始まった戦争だが、それはハンニバルによってだった。
そしてそのバルカ一族の中でも有力な3人全てが死んだのである。
カルタゴ軍は頼るべき将軍を全て失ったのだ。

・ローマの英雄
スキピオはハスドルバルを撃破してから休まなかった。
勝利の余韻にも浸らなかった。
すぐさま軍勢を率いてエブロ川周辺に展開していた大軍団に向って戦闘を挑んだのである。
ただし計画的にだ。
ハスドルバルを討たれ、そしてその報告が入ったばかりですぐには戦闘が無いだろうと思い込んでいたカルタゴ軍は仰天した。
そして次々に破れていったのである。
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エブロ川にかかる橋をめぐっての戦いは特に激烈を極めた。
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だが結局の所ローマ軍の勝利であった。
カルタゴ軍がいくら頑張ってもスキピオを止めれなかったのである。


こうしてカルタゴ軍のスペイン戦線崩壊は始まったのだった。
ハスドルバル戦死からまだ半年も経っていなかった。