洲珠乃日記(すずない)

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ローマと呼ばれた国・Ⅶ

・新たな息吹
ローマ建国紀元563年
アエディリス(造営官)に新たに2人が任命された。


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ウィビウス・ヘレンニウス・バルブス

彼らの能力がアエディリスに非常に適切だったからである。
2人を中心にしたアエディリスとその建築技能集団が編成され、全ローマ領土へと派遣された。
彼らはアエディリスでも、公共の建築物に特に強い権限が与えられた特殊な存在だった。
建築に関しては執政官ですら意見することも許されなかった。
カルタゴとの戦争という緊急事態に対応した必要な改革だったのだ。

この年、スペイン戦線でカルタゴ軍に大勝を収めたスキピオがレガトゥス・レギニオスに
つまりローマ軍の大将軍に任命された。
スキピオはローマから援軍を待つため占領したエンポリアエに留まった。
こんな時にガラエキが離反した!
ガラエキは現イベリア半島の付け根、サン・セバスティアンの軍港から軍勢をフランスの現ジョレの付近に大軍を上陸させた。
ローマはこれに対抗する軍団をフランスに置いて居なかった。
スペイン戦線への増援と辺境の軍備再編で手一杯だったのだ。
これを救ったのは辺境守備の為に駐留していた旧編成の軍団だった。
だが一回の戦闘でこの軍団も酷く傷ついてしまった。
現サン・ナゼールやラ・ロシェルで海軍を編成してローマ軍はガラエキの撃退に勤めた。
だがこの海軍もガラエキの増援船団を撃退し続けるには限界があった。
敵のガラエキは地元から海軍を徴募できたがローマはそうはいかなかったからだ。
征服したフランスは元アルウェルニ族の領土で反乱が頻発し、海軍も現地住民から募集するか捕虜を使うしかなかった。
船はカルタゴ軍から模倣した2段帆船だったが、初めてローマ軍がカルタゴ軍の海軍と戦う準備の時のように練習するほかないのだが、そんな時間は無かった。

この頃スキピオカルタゴ軍によってエンポリアエを包囲されていた。
倍以上の兵力によって南北の両方から攻撃されたスキピオは、見事このカルタゴ軍を撃退して見せた。
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エンポリアエ防衛戦後の戦争画
カルタゴ軍が遺棄した攻城兵器や死体の山などが描かれている
街の中心には勝利後に整列したローマ軍兵士と防御に使われたリトロボリスが見える

スキピオはこうした勝利をカルタゴ軍相手に積み重ねる。
また、スキピオは常に情報を求めてスパイや斥候を各地に放っていた。
その中で有力な情報が2つ入った。
それはエンポリアエ付近にに現カルタゴの指導者であるハスドルバルが来ているというのだ。
ハスドルバルは先にイタリア半島に侵攻してきたハンニバルの弟に当たる。
そしてその末弟であるマゴもハスドルバルと共に来ているというのだ!

もう一つの知らせはスキピオ初めローマ軍の空気を重くした。
カルタゴ軍がエブロ川周辺に大軍団を配置しているとスパイからの報告が入ったのである。
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幸いな事にこの軍団とハスドルバルはあまりにも離れていた。
これに目をつけたスキピオはハスドルバルに戦闘を挑む。
新たにローマからの援軍を得たスキピオは迷うことなくハスドルバル攻撃へと出撃した。
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そしてこの戦いが後の両国の運命をはっきりと決定した出来事となった。