洲珠乃日記(すずない)

気ままな更新とサイドカーやゲームのブログ

ローマと呼ばれた国・Ⅹ

・初めての反乱
反乱が起こったのは、ローマが入る前はガリア人が居た居住地だったパタウィウムとメディオラノンだった。
この住民の反乱を元老院は予想していた。
というのも既に何十年も前から燻った火種があったからだ。
元老院議会は反乱が発生するや否やすぐに準備していた軍団を派遣して包囲した。
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元老院議会はこれを機に各ローマ諸都市が問題を抱える増加しすぎた人口増加を抑制する為に、強引過ぎる手段に訴えた。
つまり反乱した市民に対して、多額の罰金を課し、それを支払えない者には死が待っていたのである。
軍団の攻撃によって反乱した都市は半年もしない内に鎮圧され、住民は反乱前の人口から3割にまで減っていた。

・スペイン
スペイン戦線は膠着していた。
いや、実際には実にゆっくりとだが進展していた。
ローマ軍は少しずつ勢力圏を拡大していったのである。
軍団の補充がなされず、住民の反乱にも手を焼いた為ローマ軍の進軍速度は急速に低下した。
この時間をカルタゴ軍は有効に使った。
次々と首都周辺から精鋭の部隊を編成してスペイン方面へ送り出してきたのである。
だがこれが失策だったとカルタゴ人が気付くのはもう少し後のことである。

スペイン戦線は非常に危険な状態にあった。
まず、スキピオと同じレガトゥース・レギニオスに任命されていた将軍がカルタゴ軍相手に完敗した。
これは完全に補給が途絶えたことによる軍団の人員数低下が原因だった。
だが、それを乗り越えてローマ軍はスペイン方面を完全に制圧した。
カルタゴ軍は、渡海が容易なジブラルタル海峡を渡って軍勢を送り出してきたのだ。
ローマ軍にこの軍団を止めるだけの力は既になかった。
スペイン方面の戦闘は一部だけになったとは言え、悪化の一歩を辿った。
これに原住民の反抗的行動が色を添えたのである。

・軍団の新設
元老院議会は、この緊急事態に対して早急なる軍団の新設に全力を傾けることで満場一致の決議をだした。
すでに北欧ではベルガエがローマ軍の領土に深く侵攻してきていたのである。
ローマ建国紀元573年の段階で一気に複数の都市がベルガエに攻略された。
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元老院はこの事態に大して大した対策を練っていない。
むしろフランス方面を放棄しても構わないといった雰囲気すらあった。
これは元老院議会内で可決された軍団の作戦行動が決定していた為である。
元老院議会は次の事を決定したのだ。
カルタゴ本土への上陸である。

新設された軍団は、シチリア島に集合した後にカルタゴ本国へ向って出陣する。
攻撃に参加する軍団の数は3個軍団。
これによって3都市を同時期に攻撃して陥落させようという目論見があったのだ。


元老院の思惑
元老院の中では意見がはっきりとまとまっていた。
それは、北方民族の押さえよりも南方の巨大な商業国家を潰して吸収することだった。
初めは3個軍団による攻撃など予定されていなかった。
当初は1個軍団で上陸し、各地を転戦してスペイン方面にいる敵を引き離すことにあったのである。
だが、それではせっかく上陸してももし敵の大反撃に遭って撤退した時、次に上陸するのは非常に困難になることは眼に見えて分かっていたからだ。
こうして元老院カルタゴ、タプソス、ハドゥルメトゥムの3都市に同時攻撃を仕掛けることを決定したのである。

・ローマの軍隊編成
こうしている間にもローマ諸都市は着実に発展を遂げていた。
そして、この時ローマ諸都市で編成が可能になった軍団は以下のようになっていた。
第1軍団ゲルマニカ
第8軍団アウグスタ
第7軍団クラヴィディア
第10軍団エクェストリス
第13軍団ゲミナ

支援軍 (建築物:クリア・ホスティリア)
歩兵大隊アルピノ
歩兵大隊イタリカ・ウォルンタリオルム・キウィウム・ロマーノルム
歩兵大隊ダマスケノルム・サギタリオルム
歩兵大隊トラクム・サギタリオルム
騎兵大隊アストゥルム
騎兵大隊バタウォルム・エクイタータ

各都市における軍団編成率が上がってきた為、元老院は緊急時に早期に大規模な軍団を入手することが出来た。
この効果は大きかった。
カルタゴ上陸の為に編成された質の高い軍団は、僅か1年半で揃ったのである。
すぐさまシラクサに集まった軍団に命令がくだされた。


カルタゴ陥落
かくてシラクサから出撃した3個軍団は、程なくカルタゴの本土、北アフリカに上陸した。
すぐさま各軍とも都市の包囲に入る。
前年にスパイが進入していた為、敵軍の動向は全て把握していたので簡単だった。
カルタゴ軍はスペインの利権を守る為に、街の守備要員を残して殆どがスペインに出征していたのである。
彼らの持つ巨大な富を使った傭兵を雇う暇すらなくローマ軍は上陸した。
元々スペイン戦線へ移動するのにもローマ軍は船舶を使って移動していたので、カルタゴの有力者達は戦線の崩壊しかかっているスペインへの増派だと思ったのだった。
虚を突かれたカルタゴ軍は、首都の防衛に市民達からの募集を募って足りない人員を補充した。
その中には象を徴発して使用した部隊もあった。

急遽集めたにしては部隊の集まりが良かった。
元々武器庫には大量の武器があったので、市民達はそれを武装することで戦闘にすぐ赴けたのだ。
カルタゴ軍の指揮は副スフェスであったティマシオンが防衛の指揮を取ることになった。
ローマ側の将軍はアウルスという騎士階級の男だ。
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アウルスはまずリトロボリスを使ってカルタゴの城壁を崩して城内に侵入した。
その後少数の部隊で周辺を堅持する間に主力軍をなだれ込ませて城内に進入した。
だが進入したローマ軍を待っていたのは背に塔を設けた象部隊であった。
城内の為建物が混在する中、象はローマ軍の間を暴れまわった。
突進力だけではない、興奮した象は辺りに居るローマ軍を蹴散らし、踏み潰したのだ。
僅か数分の戦闘でローマ軍の被害は酷いものだった。
カルタゴ軍には本拠に常駐していた精鋭のバアル神聖隊がいたのである。
この部隊に進軍を遮られたローマ軍は、数によって押すしかなかった。
さもなくばこの一角で、城内の勝手もしらないローマ軍にとっては壊滅しかなかったのである。
無理にでも混戦状態に持ち込ませた結果、カルタゴ軍の象部隊投入という事態になって大被害を出したのである。
これに対してアウルスは弓兵に味方を巻き込むことを承知で火矢を撃たせた。
また、軍団兵には混戦していて難しいがピラを象に向って投げるように指示をだした。
アウルスの狙いは当たった。象は火矢とピラに驚いて調教師の命令を聞かずに暴れまわったのである。
これを見てアウルスは混戦の中でも後方にいる部隊から次々に部隊を引き抜き、後方で再編成させた。
こうして象の攻撃をかわし、尚且つ象と距離をとることで、興奮した象の関心は近くにいたカルタゴ軍の兵士となった。
彼らは味方である筈の象に踏み潰されたのである。
こうなってはカルタゴ軍もどうしようもなかった、この混乱で一瞬にして部隊は壊滅してしまったのである。
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ローマ軍に占領されたカルタゴは、反乱を起こしたパタウィウムの時のように、一定の資産提出出来ないものは死刑となった。
こうしてローマ軍はカルタゴを占領することに成功した。
この年ローマ建国紀元573年
他の2都市も占領したローマ軍は、順調に戦略目的を達成しつつあった。
この流れもあって元老院議会内ではカルタゴに対する正式な処置をどうするか、議会内の会議はその一点に絞られた。


スキピオの報告
スキピオはこの時今だスペイン戦線でカルタゴ軍と戦っていた。
このスキピオから元老院議会に向けて文章を送ってきたのだ。
それによると、カルタゴ領内では盛んな傭兵参加と市民までもが徹底抗戦の構えをしているという。
また、海運国家だったカルタゴはローマとの戦争を経て、陸軍が先進的に整備されているとの情報を入手した。
そして、カルタゴ攻略時にすべての市民がローマ軍に反抗したことに元老院議員は衝撃を受けていた。
まして陸軍までもがカルタゴ領内で整備されているという。
議会は一致した意見でまとまった。


カルタゴ滅ぶべし」


こうしてカルタゴを滅亡させる為にローマ軍は動き出した。
勢いに乗ったローマ軍の攻勢でカルタゴ軍は全線戦で総崩れとなった。
ローマ紀元573年にカルタゴを含む3都市を陥落させてから順に記載するとこうなる。
紀元575年ヒッポレギウス、ティンギが陥落。
紀元576年キルタ、シガ陥落。
そして最後に残ったレプティス・マグナが紀元577年に陥落。
こうしてカルタゴはその歴史を閉じたのである。
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首都ローマではこの勝利によって一週間の戦勝祭りを決定し、市民は飲み騒いだ。
順次帰還したローマ兵達は市民達からの暖かい声に包まれて帰還した。
道中いくつかの街道を行軍して帰ってきた彼らは、その途上で地域の住民からの進物が絶えなかった。


カルタゴが滅亡したことでローマは完全に西ヨーロッパの覇者となった!
そして南下してきたベルガエは一人の将軍によって翻弄され、分断された末に壊滅した。
僅かに残ったベルガエの兵士達が領地を攻撃したが、それとて大したことではなかった。
むしろワザと城を空にして敵を閉じ込め、その上で包囲して殲滅された。
彼の名は、ガイウス・メンミウス・ゲメルス
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騎士階級出身で状況の変化には敏感だったようだ。
機敏な動きで敵を倒したのである。
彼は後に対ベルガエ・キンブリ方面の方面軍司令官として任命される。


・建築物
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