洲珠乃日記(すずない)

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ローマと呼ばれた国・Ⅱ

ローマ建国紀元537年冬
ティベリウスハンニバルと対峙していた。
ローマの目の前まで迫ったハンニバルとの決戦を挑む為である。
ティベリウスの眼前には、彼が率いてきた軍勢と相対するもう一つの軍が展開していた。
開戦に当たって、ティベリウスは次のように言っている。
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「勇敢なローマ人兵士諸君。目の前には我々の祖国を踏み躙る敵がいる。
やつらは何をしにここにやってきた?
我々から全てを奪う為だ!
今ここで諸君らが負ければ、家にいる家族や愛するものが全て失われるのだ!
それに耐えられるものは?
――今ローマと、そして地中海諸国の全てがこの戦いを見、聞いている。
カピトリヌスの丘と愛するものたちを守れるのは今ここにいる君達だ!
諸君達の手で、輝かしい栄光を手にするのだ!」
そしてこの演説の後、ティベリウスの振り下ろした采配の手で戦闘が始まる。
時間は昼を過ぎた辺りであった。

ティベリウスは団結出来るローマ軍とは違い、遠征に継ぐ遠征で他勢力を糾合しながら戦いを進めてきたハンニバルの弱点が、統率を取るのが難しくなった複数の民族からなる複合部隊にあるのを見抜いていた。
今回ティベリウスが率いてきた軍団は大多数の歩兵と少数の騎兵である。
ハンニバルの弱点が統率にあるならば、敵に攻撃を仕掛けさせ、それを半包囲して撃滅するのが良いと判断した為である。
戦闘は初めから激戦であった。
途中には互いの将軍までが前線に繰り出して剣を振るい戦う始末である。
初めにハンニバルが軽装部隊で前衛の歩兵隊に投槍と弓矢を浴びせ、その後にリビア槍兵や散兵などが突き進んできた。
騎兵は大きく左右に迂回し、ローマ軍を包囲殲滅しようとしていることは明らかであった。
ティベリウスは随時敵の動きを聞きながら、小数の騎兵でまず右側に迂回している敵の騎兵へ攻撃を命じる。
まだ前衛しか戦っていないローマ軍は、一瞬のうちにリビア兵に食い込まれてズタズタに引き裂かれてしまった。
ここに中央部を厚くする為に2陣中央の歩兵が投入された。
この増援で中央部は持ち直し、戦線を維持することが出来るかに思われた。
こんな時にハンニバルが馬を狩って突撃してきたのである。
これで一気にカルタゴ軍中央の部隊の士気があがった。
堪らずローマ軍の中央部が後退する。
このとき既に、ローマ軍の全軍が各場所で戦闘を繰り広げていた。
特に騎兵隊は元々数が少なかったのでいまやその数は半減している。
こうしてジリジリとローマ軍は押される中で、ティベリウスは直接指揮する騎兵部隊を指揮して中央部後方から左翼へ走りだす。
そして大きく迂回して最左翼で戦闘していた敵部隊の背後から猛然と突撃を開始した。
正面にいるローマ兵にだけ集中していたケルト人の槍隊は不意を突かれる形となった。
槍が人を突き刺し、馬が人を踏み潰して一気に中ほどにまでティベリウス達は食い込んだ。
しかしそれでも彼らは崩れなかった。
ハンニバルに指揮された彼らは非常に士気旺盛だったのである。
ティベリウスはすぐ様その場所を離れて部隊の再集結をまった。
集結合図のラッパをティベリウスが命令した時、無数の槍がハンニバルの本営を直撃していた。
少数のローマ騎兵部隊である。
彼らはカルタゴ軍の騎兵を撃退していた所に馬に跨って伝令を飛ばしている高貴な人物を見つけたのであった。
部隊指揮官はこれを見てすぐさま突撃を開始した。
彼らの槍が捉えたのはハンニバルの左側面であった。
そしてこれがハンニバルの最後になったのである。
ハンニバルを討ち取った騎兵隊は大きくラッパを鳴らしてハンニバルの戦死を告げる。
だが中央部と右翼はそれ所ではなかった。
ケルト人の攻撃が異常なまでに強かったのである。
中央は少し持ちこたえていたが、右翼はほぼ全滅であった。
既に初めにいた軍団の半数以上を失ったティベリウスは、残った戦力を集めて中央部を攻撃しているケルト人とリビア槍兵に突撃した。
騎兵による波状突撃を繰り返す事でついに敵の中央部隊を敗走させ、それを観た右翼の軍勢も撤退していった。
そして撤退した部隊は残らず騎兵隊に討ち取られたのである。
―戦闘は終わった。
ローマ軍の勝利である。

カルタゴ軍の残存部隊は散々であった。
生き残ったものはゲノアへ撤退した。
後に残ったティベリウス率いるローマ軍も酷かった。
彼らは軍団を整えるとさっとローマへ帰還のとについた。
勝利というにはあまりにも損害が多すぎた。
カルタゴ軍総勢4402名 死者4322名。
ローマ軍総勢3682名 死者2795名。
まさに死闘であった。