洲珠乃日記(すずない)

気ままな更新とサイドカーやゲームのブログ

ローマと呼ばれた国・Ⅰ

※この作品はフィクションです。


ローマ建国紀元536年夏
濃霧の中を行進する2つの軍隊がいた。
フラミニウス・ネポス率いるローマ軍と、ハンニバル・バルカ率いるカルタゴ軍である。
ハンニバルはアルプスを越え、南フランスを越えてイタリア半島へ侵入していた。
ネポスが出陣するまでに、ローマ軍は2回も大敗を重ねている。
カルタゴ軍がイタリア半島深くに侵入したことを察知したネポスは、軍団を率いて出陣した。
途中、軍団が通れる約9キロほどの道をもったトラシメヌス湖畔にネポスが入った時、周囲をみたネポスは全軍に停止を命令した。
湖畔が近くにあること、湖のすぐそばに森が迫っていることで、霧がいっそう深くなったのを感じた為だ。
既に、前方や後方の部隊を確認することも難しい状況であった。
ネポスは前衛部隊に伝令を走らせると、自分のいる中軍をまとめて後退し始めた。
すでに後方にも伝令を出していたネポスは、トラシメヌス湖畔のローマ側からの入り口部分に部隊を集結させた。
そして少し離れたところに後衛の部隊を展開させ、簡易の陣地を築かせた。
そうこうしていると前衛部隊が合流し、ネポスは入り口部分に前衛部隊を配置して陣を築かせた。
一方は丘の連なった森で、一方は湖である。
簡易な防御陣地でも中々攻め難いものだが、地形も非常によかった。
ネポスは、そこで霧が晴れるまで待機することにした。
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霧の中、息を潜め、闘志を隠している男達がいた。
ハンニバル率いるカルタゴ軍である。
ローマ軍が行進してくると睨んで斥候放っていたハンニバルは、ネポスが湖に進入したところで引き返し、陣地を作って篭った事を知らされた。
陣地に篭って出てこないと知ったハンニバルは、すぐさま北のアリミヌムへ進路をとった。
既にゲノアを確保したハンニバルにとって、アリミヌムを落とすことは陸から北への進路をローマは封鎖されることを意味する。
海洋国家ではないローマには、これは大きな痛手となるとみての考えだ。
すぐさまハンニバルはトラシメヌス湖畔の近くを離れた。

その頃、西へと急ぐ数十隻からなる船団がイオニア海を航海していた。
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これに乗船しているのは、ハンニバルに一度敗北したプブリウス・コルネリウススキピオである。
今では怪我も全快し、一路ローマへの帰路を急いでいた。
スペインのエンポリアエからの帰還である。

場所を変えてローマ市内は大騒ぎになっていた。
ハンニバルの接近を市民が知るところとなり、いたるところでローマの行く末について話していたのだ。
果ては平静を失った者達が略奪や暴行など、一種のヒステリーを起こした。
当然ローマが有する都市はローマだけではない。
しかし、ローマは後に世界の中心であり、全ての道はローマに通じるとまで言わしめた都市である。
ローマ人たちの心の支えとしてローマという都市が非常に重要な役割を担っていたことは想像に難くない。
すでに逃げ支度をするものまでいる始末である。
そして、市民達の不安以上に不安と怒号に包まれた雰囲気は元老院内部だった。
議員達は口々に叫びあい、議場は大混乱となっていた。
こんな時に出陣していたネポスがローマに帰還し、議場に現れた。
急いで駆けつけた為軍装での入場であり、それは非常に皆の目を引いた。
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「今我々がすべき事はハンニバルをイタリアから追い出すことだ!ここで争い、時間を浪費することではない!」
このネポスの一言で議場は理性を取り戻した。
彼はこれまでに国家内政面で非凡な能力を発揮し、戦闘でもガリア人を撃退するなどの戦功上げていた。
しかし、彼が出陣した後の元老院は慌てふためくだけで具体的な対応策を論議、実行するにいたらなかった。
むしろ不安を民衆に広めた感じさえあったのだ。
その為ネポスはローマに残り、変わって指揮能力に富んだ将軍を召還することになった。
召還された将軍は以下の人物である。
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コルシカ島アレリアからルキウス・ポストゥミウス・アルビヌス
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サルディニア島カラリスからティベリウス・センプロニウス・ロングス
以上の2名である。
彼らはローマの中でも2,3を争う軍人であり、優秀であった。
召還された彼らは船に乗ってローマへとやってきた。
先に到着したのはティベリウスの方であった。
この時ルキウスはカルタゴ海軍によって港を封鎖されていた為、まだ出航するに到っていなかったのである。
この報告を聞いたネポスは、既に用意しておいた軍団をティベリウスに預けてハンニバルとの戦闘に望ませた。
そしてアリミヌムを包囲していたハンニバル率いるカルタゴ軍と対峙した。

この時ローマ諸都市では貿易と税収入を向上させる為、税金の軽減(人口を増やす目的)とそれを補う建築を行い、道路を整備し、港と河川港を整備した。
これらの内政面の発展により南イタリアの経済を活性化させたネポスは、経済大国として着実にその基盤を整えた。
ローマ諸都市は新規の軍団を次々と編成することに成功したのだ。
同盟都市からは兵士を集めさせ、それらを首都ローマ周辺で再編成して将軍がそれらの軍団を率いるのである。
遅れていたルキウスもコルシカ島から到着していた。
そしてこの時、歴史が動いていた。
ティベリウスハンニバル率いるカルタゴ軍を撃破。
また、ハンニバルを戦場にて殺害したのである。


ローマ建国紀元537年冬
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ティベリウスハンニバルと対峙していた...