洲珠乃日記(すずない)

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ローマと呼ばれた国・Ⅳ

ローマ国内では第2次ポエニ戦争終結後、都市、技術、文化の向上が目覚しい。
ハンニバルによるイタリア本土の傷跡などまるでなかったかの様に癒え、更に拡大しているのである。

ローマ建国紀元553年
ついにローマは帝政への道を歩き出す。
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ゆっくりとした帝政改革は、ローマ諸都市の拡張に十分な時間を与えた。
既にイタリア、シチリアの都市で最大級にまで拡大した都市の数は6を超えていた。
都市の名前を挙げておこう。
・ローマ
・カプア
・タレントゥム
カンナエ
・クロトナ
・レギオン
・メッサナ
・シュラクサ
・アクラガス
・リリバエウム
・アリミヌム
・アレッティウム
マッサリア
これほどまでに拡張した都市群は、ローマの国庫を大いに潤わせた。
無論戦闘が終結して軍団の新規編成がなされておらず、逆に反乱勢力との小競り合いで消耗していた。
更に帝政改革によって旧軍の再募集は禁止されていた。

こんな時にガリア人の大侵攻が始まったのである。
現フランスのアルウェルニ族がやってきて一方的な略奪と殺戮でそれは始まった。
ルグドゥノンと付近に展開していたローマ軍が包囲された。
同じ頃、マッサリアもアルウェルニ族によって包囲された。

これに対して元老院は直ちに議会を召集して軍団の派遣を決定した。
軍団はイタリア各地で召集されたローマ軍団兵の部隊と、南イタリアのクロトンなどで徴集されたクレタ人傭兵を中心にした弓兵だった。
急遽編成された軍団は急いでレグドゥノンへ向ったが、北イタリアを制圧した英雄ルキウス・ポストゥミウス・アルビヌスはアルウェルニに包囲されて戦死した。
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軍団が到着した時、マッサリアではアルウェルニ族の攻城戦が開始された。
イタリア本土から軍団が派遣されていたが間に合わなかった。
マッサリアを守る軍団は通常編成の半分にまで消耗した軍隊と、半数以下の軍団兵達だった。
だが指揮官が良かった。
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指揮官はハンニバルを撃退したティベリウス・センブロニウス・ロングスだったのだ。
この年62歳。
彼の指揮でマッサリアは守られた。
軍団は9割、騎兵は全滅という被害を出して・・・。

すぐさまティベリウスはローマに援軍を求め、マッサリアでの自前の軍隊を徴募することにした。
いち早く集めたのは弓兵である。
今回の防御戦で、弓兵の不足がもたらした損害は異常なほど多かった。
特にギリシア人が建設しただけあって壮大な石の壁作りの城壁である。
弓兵が展開して矢を放つのにも十分な広さがあるのだ。
また、マッサリア地域の傭兵も雇い、ホプリタイ、トラキタイなどの歩兵傭兵を雇った。
これだけでマッサリアの防御力は飛躍的に向上した。
翌年、アルウェルニ族は再度の攻撃を仕掛けてくるが、これは一瞬にして撃退された挙句に駆逐された。

この年、一番の大事件が発生した。
サルディニア島カルタゴ軍が上陸、カラリスを包囲したのである。
包囲した軍隊の数は非常に少なかったが、カルタゴとの再戦という事態に元老院議会は非常事態宣言をだした。
第3次ポエニ戦争の勃発である。