洲珠乃日記(すずない)

気ままな更新とサイドカーやゲームのブログ

ローマと呼ばれた国・XII

・キンブリ戦争
数回前から紹介しているガイウスが指揮する部隊が駐留する都市を包囲して始まったのがこの戦争の最初になる。
ガイウスは現地募集した部隊での戦闘を得意とし、それゆえに彼の軍団にはローマ市民による部隊は少なかった。
実際彼が率いていたのは属州ガリアとメッシーナから召集した部隊だった。
まず前哨戦があり、キンブリ族の勇猛さが属州ガリアの兵士達を不安に駆らせた。
イメージ 1
ローマに征服された地域のガリア民族は、ローマやギリシアといった民族から贅沢品などを手に入れることにも特に躊躇しなかった。
だが、そのお陰で遥か昔にはガリア民族がゲルマン民族を圧迫していたが、今ではゲルマン民族に負けるようになっていたのである。
属州ガリアから集められた兵士達が不安に思うのも無理はなかった。
そして、これまでのガイウスの戦闘経験はこの属州ガリアの民との戦闘経験だけだったのだ。
未知数の戦いで、ガイウスは歩兵よりも騎兵にこの危機の打開を模索していた。
前章から準備はしているといっても、ローマから遠く離れたガリア北の地である。
更にマケドニア遠征の為にローマからの増援はなくなっていた。
ガイウスは自分の持つ権限を最大限に生かしてキンブリ族に対抗せねばならなかった。
まず属州ガリアで徴募可能な軽装歩兵を可能な限り集めるように指示を託した伝令を、街を包囲している敵軍に攻撃する為出城した軍勢に混じらせて脱出させた。
結果としてはこの方法は成功だった、それに包囲していた敵を撃退することにも成功した。
属州ガリアの徴募可能な地域ではすぐさま布告が出された。そして軍勢はすぐに集まったのである。
重装備の歩兵は集められないと踏んでいたので、ガイウスは初めから軽装歩兵を集めるように指示した。
そして、この命令で集まった一回目の軽装歩兵は数だけなら約3個軍団、つまり30個大隊近くが集まったのである。
更に軽装歩兵よりも強力な騎兵を徴募出来る地域では騎兵も募っている。
あまり多くはないが、それでも多数の騎兵が集まった。
また、今回の出来事を重く見た元老院議員達は直ちに議会を開き、文化発展のための建築を取りやめて軍団の編成に勤めた。
ローマはマケドニアギリシア都市同盟、ダキア、キンブリといった大きく別けて2面での戦争を余儀なくされた。

ガイウスは健闘した、まず包囲した部隊を完全に撃退し、更に進撃して一都市を占領し、一路キンブリ族の首都スタノキンブロズを目指した。
ガリア人もそうだったが、出撃している部隊は母国を攻められると戻ろうとするものが必ず出る。
母国に残してきた家族や財産があるのだから気にしない方がおかしいからだ。
ガイウスはこれを突こうとしたのである。
そしてもう一つ首都を攻める理由があった。
それは何処の国でもそうだが、首都が一番発展した都市である可能性が高いということだ。
軍事的にも経済的にも、である。ガイウスはこれを狙ったのだ。
イメージ 2
赤い矢印:ガイウスの進路
青い矢印:キンブリ族の進路
×:平原での戦場



ダキア滅亡
ローマ軍のギリシア戦線は非常に順調に勝利を重ねていた。
分かりやすいようにローマ軍の侵攻ルートを記した画像を載せておこう。


イメージ 3
赤い線が侵攻ルート
黄色い矢印は何らかの理由によって都市を攻撃せず通過したルート


北はイリュリアから南はブリンディシのローマ軍の侵攻ルートだ。
ローマ軍はこの侵攻ルートをたどってマケドニアギリシア都市同盟、ダキアといった勢力と交戦を続けた。
この中で、特に武力に優れて居たがマケドニアとの戦いが長かった為に、初めにローマに敗北した勢力がある。
ダキアだ。
ダキア人の巨躯はローマ人を圧倒した。
そしてその巨躯から振り下ろされるファルクスはローマ兵の恐怖だった。
ダキアと交戦した将軍は、これらのダキア人との白兵戦よりも弓矢での攻撃で対処することにした。
この案は成功し、弓矢によってまず敵の精鋭部隊を叩くという方法をとり、その後白兵戦で決着をつけた。
だがダキア人も黙ってやられはしない。
ダキア人は地域的には馬や弓術に優れたスキタイ人と国境を接している。
更に南はマケドニアギリシアといった文明国で、少し東へ行くとセレウコス朝シリアの領土だ。
彼らはこの地理要素を生かした豊富で優秀な部隊を使って攻撃してきた。
特に馬が優れている。
馬と騎手に装甲を施したカタフラクトと、素早く強力で正確な矢を放つ弓馬、更に投槍を持った軽装騎馬がローマ軍に襲い掛かった。
彼らの攻撃で支援軍であったエウォカティは完全にやられてしまった。
軍団兵も消耗を避けれなかった。彼らの最後の抵抗は非常に激しかったのである。
ローマ建国紀元589年、ダキアは滅亡した。
イメージ 4
だが滅亡後に控えるマケドニアギリシア都市同盟との戦いに遠征軍の将軍達は憂慮せずにはいれなかった。


元老院の計画
イメージ 5
戦争中とはいえ、経済活動や内政面が止まったわけではない。
元老院議会ではそれらの事を踏まえた今後の内政面での話し合いをするため議会を召集した。
まず、これまでに征服した地域での経済活動や都市発展をどのようにしてきたかを記述しよう。
これまでローマでは征服、または同盟都市との緩やかな同盟関係を結ぶことが多かった。
それを裏付けるように統治方法は、ローマから送られた官吏によって支配するよりも当地の親ローマ派に委ねる事が多かった。
その為住民との関係もそれほど悪くなることはなかったし、悪くならないように調整もしていた。
都市の統治をする為に、経済は悪化しても良いので安定を第一に建築物を建設した。
特に重視したのは神殿と治安軍の兵舎などで、その為どの都市でも軽装歩兵程度なら徴募出来るようになっていた。
そして、当然ながら安定した都市では次に経済の発展が望まれた。
ローマ建国紀元589年、この年の歳入は240000デナリウス。
まだまだ軍団を増設しても余りある資金を有している。
また、優秀な人材を排出する機関も備えた為アエディリスとして彼らは活躍しており、彼らのお陰で建築ではさしたる資金を必要とはしなかった。
ここで、スペイン戦線で活躍したスキピオが一つの動議を提出した。
現在前線で戦っている軍団と統治に必要な軍団、船団を解散して新たに優秀な部隊編成を行なって次の戦闘に備えるというものだ。
ここで言うスキピオの次の戦闘について述べておく必要があるだろう。
現在ローマの対外関係は、同盟国スパルタ、スキタイ、ペルガモンと国境を接し、戦争中であるマケドニアギリシア、キンブリと国境を接している。
だが、ここで既に勝敗の決しそうなマケドニアギリシアを制圧すると、同盟国であるスパルタが気にかかったのである。
スパルタがペロポネソス半島からの進出を狙って動くとすれば、ローマしかなかったからだ。
スキピオはこの事を気にしていたのである。
スキピオはこの先行きの怪しい同盟への対処案を提案した。
現在出兵している各軍団の中から、消耗した軍団でもいいのでスパルタとの国境近くに2個軍団は駐留しておくべきだ、という内容である。
議会はこれに同意し、テッサリア地方とアイトリア地方に各1個軍団づつ、計2個軍団を駐留させてマケドニア侵攻を進めた。


・ガイウスの苦悩
同じ頃、北方でキンブリと戦っていたガイウスは苦悩していた。
キンブリの首都であるスタノキンブロズも占領した、当地の為に住民を減らしもした。
だが、街の治安は最悪であった。手の施しようがないほどに。
これまで戦ってきたガリア人達とは町の様子が違っていた。
まず彼らの人口が非常に多かったことだ。人口が多すぎて占領後の人口調整が上手くいかなかった。
人口が一万人程度残ったためだ。
ゲルマン人は洗練された衛生的な設備などを持っていないので、人口が多い分の衛生面がまず悪かった。
次にゲルマン人の気質がローマに対する反抗を燻らせていた。
そして何よりもローマから遠く離れているという事が、今戦っている軍団を釘付けにすれば手出しができなくなるというローマ軍の現状を見据えていた。
既にキンブリ族の攻撃が及んでいる最南端はイタリア半島の向こう側であるスイスにまで及んでいる。
北部イタリアから軽装歩兵が召集され次第、順次山越えの道へ向って行進を開始している。
だがそれでも軍勢は足りなかった。
ガイウスは2年前に成人した息子にスタノキンブロズと連絡線をつなげられる都市を任せて都市の攻略に乗り出したのだが、住民の反抗が強すぎて前進するどころではなくなった。
仕方なく徹底的な人口調整が求められた。ガイウスはその方法に苦悩していたのだ。
まず不満分子がいれば少数では勝てないので呼びかけや絆の強いもので固められる。
そして、この場合ではローマに対してこれまで反抗して負けた勢力も不満分子と合流することは良くある事だ。
さらに、現体制のローマに不満を持ったローマ人の反乱の危険性も孕んでいる。
ここで一度都市の反乱を許してしまえば、これまで占領したキンブリ族領が一気に寝返る可能性すらこの問題は秘めていた。
現在のキンブリ戦争に備えたローマ軍の軍団の配置を記述しよう。
イメージ 6
このようにガイウスの1個軍団だけでは身動きが取れなくなっていたのだ。
南と西からやってくる軍団もすぐに到着するわけではない。
ガイウスは行動の自由が取れなくなっていた。