洲珠乃日記(すずない)

気ままな更新とサイドカーやゲームのブログ

一冊のナポレオン書籍を読んで...

電車で学校から帰ってる最中にカチカチと携帯で打ってたらこんなになったw
とりあえずナポレオン戦争全史という本を読んで一応頭を整理する為にまとめてみた。
下記は携帯で打ったそのままの内容(笑


18世紀に入ってオーストリア女帝マリア・テレジアが国境防衛などに野性的なクロアチア兵を採用することによって軽装歩兵が戦闘の主役に返り咲いた。しかし、いかなる時も正規軍よりも柔軟性をもったこの部隊は規律が悪いとされたため主力にはならなかった。しかし訓練しだいで支援作戦・強襲攻撃・奇襲攻撃・守備隊・国境守備隊などに活躍する部隊と分かってきた。意外なのは守備隊に非常に向いているという事であった。にも関わらず主力には採用されず、フリードリヒ大王は集中射撃に信頼を置いて銃の発射速度の向上に重点を置いたようだ。フランス軍は横隊突撃よりも縦深陣形による突撃の方が効果を上げるのだと知っていたが、問題は突撃時の支援火力であった。これを軽装部隊に任せるか大砲に任せるかで決め手を欠いていた。フランス軍は大砲に支援させることにした。特にナポレオンは大砲を集中して射撃することで敵陣を崩して弱点を突く方法をよくとっている。更に機動性を上げるために砲身を短くして軽量化し、馬に大砲を引かせて機動の遅い大砲に機敏さを付け加えた。イギリス軍ではこの方法を応用してか馬を走らせて牽引したまま射撃するといった方法を編み出した。ヒットエンドラン戦法である。本来馬につないだまま発射すれば音に驚いた馬が暴れるのだがそこは訓練することで問題ではなくなっていた。ナポレオンの得意技は内戦戦術だ。内戦戦術とは右か左に敵の餌となる部隊をちらつかせて攻撃させ、その間に主力が後輩に回って敵を挟撃するのである。この時遭遇戦にならないようにするために戦闘しながら移動するか常に偵察兵を使って敵味方、及び自軍の位置を確かめる必要がある。そして敵の退路か背後線を絶ってから敵を一挙包囲するのである。この時迅速な行動が求められる。グズグズしていると敵を逃してしまう。殲滅を主とするなら急がなければいけない。ナポレオンはこの内戦戦術を多用した。これはナポレオンが敬愛するフリードリヒ大王の内戦戦術を模範にして得意戦術とした。フランス軍が歩兵突撃でする縦深陣は砲撃によって敵の火力を叩かせて支援がなくなった敵に特に有効だった。しかし騎兵の価値は時代と共に廃れていった。追撃や後方攪乱でしか成果が上がらなくなっていた。特にイギリス軍の方陣には手が出なかった。ワーテルローでネイ将軍が決死の騎兵突撃を行った。この時突破出来そうだったがナポレオンがプロイセン軍の接近があると考えて近衛騎兵をネイ将軍と共にいかせなかった。これはナポレオンの失敗であった。被害は目を覆うものがあったが、同時に騎兵だけの突撃で方陣が突破できないという裏付けがとれた。こうした方陣は伝統として現在のイギリスにも受け継がれている。ナポレオンのとった内戦戦術はナポレオンが敗北する最後まで有効だった。ナポレオンが敗北したのは戦術にではなく、兵士の練度と将軍のナポレオン戦術の理解能力が劣っていたからだとされる。ナポレオンは兵站の扱いも上手だった。補給物資は常に部隊と共に進ませ、食料は現地の村などで調達して軍需物資を使わなかった。また、兵站基地を随所に設置し、補給不足といった状態は決して起こさなかった。それはロシア遠征までしっかり機能し続けた。ロシアでは悪路と村の貧困さの為に食料の調達が困難であり、その結果補給が続かなくなった。次にナポレオンの海に対する考えである。ナポレオンは海を障害地帯と考えた。すなわち乗り越えれるものと考えたのだろう。イギリスに護衛艦なしで揚陸挺だけで海を横断して上陸させるなど狂気の沙汰である。この考えは大陸に住んでいる者の考えで、海は陸上にないから護衛などの重要性を理解しない。イギリスは逆である。海は重視するが広大な領土は必要としなかった。そして先人の教訓があった。クックの残した「大陸国家は互いに戦わせよ」である。そのままで、大陸国家同士を戦わせて海洋国家に団結して当たらないようにである。海洋国家は土地はあまり必要ないが交易する港を大事にした。ナポレオンは失敗したが貿易の禁止を各国に命令した。意図は明白である。交易を辞めさせてイギリスの資金源を絶とうというのだ。一時イギリスは危機にたった。だが巧みな外交戦術で大国ロシアを脱退させるのに成功した。


だーらだらと文章を連ねた結果こんなんになったw
さて、書いたはいいけどどうしようこれ;