洲珠乃日記(すずない)

気ままな更新とサイドカーやゲームのブログ

ホプリタイ(古式重装歩兵)

ホプリタイ(英 複:hoplitai)
ホプリテス(英 単:hoplitēs)

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Rome:Total War-Europa Barbarorum-より ホプリタイ(ギリシア古式ホプリタイ)


■歴史的背景
まず説明するべきは彼らがどの程度の財産と権利を持っていたかを説明する必要がある。何故ならホプリタイとは古代ギリシアにおける最も重要で名誉あり、一般的な兵士であったからだ。また私がホプリタイについて記事を複数に分ける意味も含まれている。彼らは度重なる戦闘に参加するうちに、一つのまとまった影響力のない民衆から発言力を持った強い存在に変わってきたのだ。それは、彼らが戦場に参加することが理由であった。つまり、戦場に参加する中心戦力は彼ら一定の資産を持った平民が殆どであった。したがって彼らは戦争の中でその地位を向上させ、最終的には古代の民主国家として知られるアテナイのように平民と貴族とが議会を招集して対等の意見を発言しあうまでになっていたのである。そして、今回紹介するこのホプリテスはその中でも一番一般的な部隊になる。というのも彼らの装備は国家からの支給品ではなく自前で参加していたからである。彼らがこの一般的な重装歩兵として戦闘に参加することは名誉であり、また自らが一定の地位や財産を所有していることを示していた。基本的にはその装備は同じであるが、違うのは胸当ての絵柄や色であったり、盾に書かれた絵などだった。彼らは初期には重い青銅製の釣り鐘式(形が決まっていて上からすっぽりと被って着用する)胸当て、青銅製の兜、青銅の盾、先端が青銅でできた(ソケットタイプの)槍、そして場合によって異なるが青銅製の脛当てかブーツ、又は裸足か靴を履いていた。また、足を防御するもので盾に垂れた布をつけており、これによって剣や槍の攻撃を足の防具と合わせて更に防ぐ効果があった。時代が進むと青銅からリネンを素材にした物に変わったりし、兜の形状も変化した(都市国家によって違う)。だが、今回ここで記述するホプリタイはまさにこの青銅の時代のホプリタイの事である。彼らの装備や形は時代や都市国家によって違うため統一性がない。むしろその違いによってどこの都市国家の兵士であるかを判別するのに役立った。また、盾には絵を描いただけのものや紋章をつけることで、横から見ると盾から紋章が少し出ている状態になっていたが、これすらも識別のためだけでなく引っ掻いたりするのに使用する武器となりえた。彼らはほぼ全てのギリシア世界で使用され続け、マケドニアに敗北してコリントス同盟を結んだ後やディアドコイ戦争中にも彼らは存在し続けた。そしてその存在を今日にいたって示し続けており、壺絵、壁画、書物に彼らの姿を見ることができ、さらには中世~近世には彼ら重装歩兵の戦い方を真似したパイク部隊が登場している。しかし彼らはどちらかと言えばマケドニア式重装歩兵の後継だといえるのだが、基礎になったのはギリシアの重装歩兵にあることは間違いないだろう。彼らは長い歴史の中で脅威となる兵種が登場したことでその存在が少しずつ低下していった。特に間接攻撃を行う軽装備の部隊に対して機動的な抵抗できないというのは一番の問題であり、その点を改良したイフィクラテスのような人も存在する。だが彼が考案したとされる歩兵についてはまた別の記事で紹介する。それらのような状況によって彼らの装備は次第に軽量化の道をたどり、ついにはその存在が消えてしまったのである。軽量化した部隊についてはまた別の記事にて投稿させていただく。


■装備と任務
彼らの装備は青銅製の盾(ホプロン)、兜、重い槍、短剣、胸甲、脛当てを装備し、その重さから彼らの機動性は低かった。当初は槍お二本を持っていたとされ、戦闘の前に一本を投げ、残りの一本で近接戦闘で戦った。特に兜は都市によってその形状が違うことが知られているが、その中でも今回投稿したような頭の上にある飾り物をなくしたものがあるが、これは敵に掴まれることを恐れた為である。同様の理由で後記には髭も剃っているが、これを先にしたのはマケドニア軍の方である。任務は同じ敵の重装歩兵に対して正面からぶつかり、敵の構成している戦線を突破すれば戦闘に勝利したというのが当時の一般的な考え方であった。後年にはより軽装備の部隊が登場して敵の主力を牽制し、主戦線を構成することに従事し、追撃には非常に不向きであった。そのため当時のギリシア諸都市の戦いでは殲滅戦闘というのは存在しておらず、敗走した兵士も都市に帰還すれば戦いに再び参加するため長い歴史の中で抗争が絶えなかった。