洲珠乃日記(すずない)

気ままな更新とサイドカーやゲームのブログ

城というものについて -適当に書いてみた版- その2

では朝の続きから
朝は天守の居住スペースまでの話を書きましたね。

では次に書くべき事は天守が何時から存在するようになったかというお話です。まず天守というのは前回書いた通り見張り台を強化したもの、というお話でした。強化ということからも分かるかもしれませんが、初期のものは砦や城の壁に隣接して建っていた見張り台のそれとほぼ同じだったということです。ほぼ、というのはある点で違うからなのですが、それは司令部の役目もあったということです。つまり戦いとなれば個別に戦うよりも集団で戦う必要性が生じますし、初めは単体で戦っていた戦闘も多数の敵や強固な防御力を持った城や砦と戦うためにはある程度の人数が必要になってきます。伝説のように神々が戦っていたとされる時代は過ぎ去り、人間の知恵と努力の歴史が始まっているのですから。このように書きましたが必ずしも天守又は見張り台は中央にあるわけではありませんでした。それは地形によって重要な部分とそうでない部分が発生したからであり、地理的な要因で変更が加えられているのはよくある事です。特に日本では分かりやすい代表的なタイプの城があり、一つを山城、もう一つを平城といいます。先日投稿した大阪城も平城とされていますし、私の好きな姫路城も一応平城です。山城は有名な所では月山富田城小谷城でしょうが現在は跡地でしか残っていないですね。ちなみに姫路城を一応としたのは平山城という分類もあるからでして、ちょっとややこしいですね笑 さて、このような分類に分かれていますが平城は平地に築かれた城、山城はなるべく峻険な山地に築かれた城を指しています。個人的には朝倉家の一乗谷、浅井家の小谷は非常に景観が良かったんじゃないかと考えています。というのもどちらも似た地形をしていて、山の上に城や住居があり、眼下には山下の平地の部分に城下町が展開されているからです。平城の場合このように見下ろしても人工物ばかりで城や景観のために植えてある木々などでは限界があると思われますが、周囲は自然の山が広がり眼下には支配下の民衆が営んでいる所を見下ろして暮らす。中々興奮します笑 個人的なことはこの辺りで・・・。さて、城について実はもう一つ記載しておかないといけないものがあります。それは一番想像しやすいと思われるもので例に出すと、中国式の城です。さて、中国の城と聞いて日本の城みたいなのを想像出来た人は居るでしょうか?というのも基本的に中国というのは城=都市、前哨にあたるものを関としており、日本式の城とは全く異なるということです。野営陣地ならともかく、中国の城というのは基本的に都市の周りをぐるりと囲んだ城壁とその周囲を特別な防御施設で固めたものになります。日本の城と比べるとスケールが違いますね。これらは都城と呼ばれるもので、城塞都市といわれることもあります。ちなみにその地方出張版が郡城と呼ばれています。これらは古代の都市に多く観られるタイプの城であり、古くはギリシア、ローマやそれ以前のヒッタイトシュメール人もこのような都市を築いたのではないかといわれています。

この辺りで分類に別れるぐらい城が発展してきたということにして初期の城についての記述は区切りましょう。