洲珠乃日記(すずない)

気ままな更新とサイドカーやゲームのブログ

城というものについて -適当に書いてみた版- その1

題名通りです、はい。
先日大阪城の一部を撮影した画像をUPしましたが、あれから櫓の名前を調べる課程でほんの少し城に触れましたので、その中で感じたことなどを書いていこうかと思います。
朝早くに起きてしまったので時間つぶしという事で笑


■城とは
まず城について皆さんはどのように考えていますか?また、どのように学校などで説明を受けましたか?
私も城が専門分野というわけではないので簡単にしか理解していませんが、城そのものの機能については大きく別けて二つ存在していると私は理解しています。一つは拠点としての城、もう一つは一帯の地域を支配する意味の城です。どちらも同じ意味にほぼなっているような気がします・・・言葉が合っているとは言いがたいですね;まず一つ目について、これは書くまでもないでしょうし誰もが城を見て感じることだと思います。城に求められるものの一つは防御力です。つまり外敵からの攻撃に対して耐えるための拠点、これが城ということになります。初めは柵だけだったものが、時代が経過するに従ってその機能をより効率的に、より強固にして完成したものが城と言えます。現在日本で見ることの出来る城の殆どは初期の城ではなく、後期の完成された城ばかりで私が言いたいことの参考にはできません。なので適当に細かく城の原型について記載しておこうと思います。

●初期の城とは
まず城、という名前は後付けであり元々城など存在していなかったと考えるのが妥当でしょう。そもそも城を初めから作ろうなんて誰も考えないし、その技術も持っていないのにどうやって作るというのでしょうか。では初期の城とは何なのかというと、まず人が集まって出来た集団が住むための場所や家屋を建設した所からその歴史は始まったのではないでしょうか。または外敵から身を守るために集団で集まっている(家屋などを作る前)洞窟、広場、森の中のような場所で外敵が入れないように枯れ木や倒木などで周囲を囲った可能性が考えられます。これが発展したものが現在で言う壁、つまり城壁の元になったと考えられます。次に誤解しがちですが日本で言う天守などが初めから存在したとは考えにくいのです。というのも上に書いたように家屋や自分達の身を守るために壁を設置したわけで、天守などを作るよりもただの家すら作るのに苦労したのが目に見えているからです。そこで日本式で言うと御殿というものがあります。現代の我々でも理解しやすいと思いますが、裕福であったり支配層の人たちは立派な家に住んでいることが多いですが、御殿は当時の高位や裕福層が住んでいた家を示すことになります。この御殿を中心にするかはともかく、この時点で身分の差が存在していることが城の建設にも関わってくる事にもなります。城の大規模な建設などを考えるためには、専制的な支配体制が大きく関係したことでしょう。城を作るためには大量の資財が必要になるし人も必要になります。一村落が天守もあるような城を造ることなどどう考えても不可能な事だと想像できるでしょう。まず集落を囲む壁を作り、次に壁の強化と支配者の家を要塞化したものが天守へと変化していったのです。しかし、ここで一つ今言ったことと全く違うことも書いておく必要があります。それは天守に支配者が住んでいない事もあるという事です。まず天守が何故高台の上にあったり、それ自体が他の建物よりも高いのかを考えてください。そう高いのです。つまり初めは見張り台としての意味が一番となるわけです。船で言えば艦橋を意味するこの高い建物は、艦橋同様に高地から周囲を見渡して外敵の襲撃を警戒するのに非常に適していました。また、どの民族でも間接攻撃が可能な武器を持っていることが多く、その代表は弓になります。この弓と高台の組み合わせは抜群であり、形態は変われど現在でも見張り台に銃を持った警官や軍隊などがいる姿を簡単に想像できるのではないでしょうか。では話を戻しますが、支配者が天守に住んでいないことがあります。大抵の場合支配者は城の中のどこかに自分の屋敷を持っていますが、天守に常駐しているわけではないものも多数存在します。これは天守の使用目的が本来の見張り台としての意味が強いことを示しています。また、見張り台ともなると地上に作られる家などと違って縦に長い部分に武器などを保管しておくスペースを作ることも可能になり、天守は武器の保管庫としても非常にその役目を果たしたのです。このため居住のためのスペースをなくしてある城が多数存在しており、緊急時には天守へ駆けつける事になっていました。